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松山地方裁判所 昭和58年(ヨ)101号 判決

申請人 石川芳夫

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 五百蔵洋一

同 長谷一雄

同 東俊一

同 白形允

被申請人 宇田タクシー株式会社

右代表者代表取締役 宇田登

右訴訟代理人弁護士 冨川勲

主文

一  被申請人は、申請人ら各自を被申請人の本採用従業員として仮に取り扱え。

二  被申請人は、申請人石川芳夫に対し、金六万六六四〇円を仮に支払い、かつ昭和五八年六月以降本案判決確定の日まで毎月一〇日限り金一六万六六〇〇円を仮に支払え。

三  被申請人は、申請人吉田健三に対し、金六万〇八九六円を仮に支払い、かつ昭和五八年六月以降本案判決確定の日まで毎月一〇日限り金一五万二二四〇円を仮に支払え。

四  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

主文同旨

二  申請の趣旨に対する答弁

申請人ら各自の申請をいずれも棄却する。

《以下事実省略》

理由

第一当事者

次の各事実は当事者間に争いがない。

一  被申請人は、愛媛県伊予三島市中央四丁目二番二一号に本社を置き、同県川之江市ほか数箇所に営業所を置いてタクシー業を営む株式会社である。

二  申請人石川は昭和五一年八月二二日、申請人吉田は昭和五四年三月二日、それぞれ被申請人に採用され、タクシー乗務に従事してきた者である。

第二紛争の所在

一  次の事実も当事者間に争いがない。

申請人らは、第一の二で述べたそれぞれの採用のとき以来昭和五八年四月一八日までは、その雇用契約の真の法的性格は別として、被申請人の従業員として継続的に勤務してきた。しかし、昭和五八年四月一九日以降は、申請人らは、自分が本採用従業員の地位を有しているとしてそれ以外の地位における乗務を一切拒否し、一方、被申請人は、臨時雇用者としての乗務なら認めるがそれ以外の資格における乗務は一切認めない、との態度を崩さず、結局、申請人らは、同日以降被申請人の従業員としての勤務はなさず、被申請人から賃金も得ないで、今日に至っている。

二  そこで、本件で直接の問題とされるのは、申請人らが、昭和五八年四月一九日以降被申請人との関係でいかなる法的地位を有するか(本採用従業員か、試採用従業員か、臨時雇用者か、それとも何らの雇用関係にも立たないか。)である。

第三昭和五八年四月一九日に至るまでの経緯

一  昭和五六年八月までの経緯

《証拠省略》によれば、次の各事実が一応認められ(以下、一応認められる、の趣旨で、単に、認められるということがある。)(る。)《証拠判断省略》

1  組合の存在

全自交労連愛媛地本傘下の労働組合の一つとして被申請人従業員を組合員とするもの(宇田分会)が以前から存在する。

2  本件労働協約の締結

被申請人と全自交労連愛媛地本(当時の名称は全自交労連愛媛県自動車交通労働組合)とは昭和四五年六月二六日、ユニオンショップ条項、組合活動に関する取決め、平和協定、争議行為、人事、服務規律、給与規定、退職金規定等就業規則に全面的に代替する詳細な内容の労働協約(本件労働協約)を締結し、少なくとも昭和五九年四月被申請人がその無効を通告するまでは、双方で有効なことを確認してきた。

右労働協約二四条は、「会社は業務上必要ある場合組合の意見を聞いてその必要の期間臨時雇傭(用)員を雇入れることがある。」と規定し、必要ある場合組合員の意見を聞いてその必要の期間に限って存在する「臨時雇用員」という名称の臨時従業員を認めており、さらに、右協約五条では、臨時雇用員は組合員からは除外される旨を規定している。なお、被申請人の就業規則上は、従業員としては、本採用従業員、試採用従業員のほかは日々雇入れられる者だけが予定されているにすぎない。

3  臨時雇用運転者の採用

本件労働協約締結当時の従業員は、右労働協約の趣旨に従い、繁忙期に雇われる文字どおりの臨時雇用員(労働協約二四条、五条三号に該当する。)を除いては試採用従業員と本採用従業員とで構成されており、この状態が、昭和四九、五〇年ころまで続いていた。

ところがこのような状態が続くうち、昭和四九年の春闘において、被申請人の従業員は、嘱託者以外は全員が組合(宇田分会)に加入し、翌五〇年の春闘は長期化し、同年八月一三日から九月二四日までの四五日間の長期間にわたるストライキが行われ、宇田タクシー労使の問題は地域の問題となり、川之江市長、県会議員、地労委などの斡旋によって同年一二月ようやく解決の見通しとなるといった事態が発生した。

この直後から、被申請人は、「昭和四八年のオイルショックを契機にタクシー業界は構造的に不況業種となり、減車などに追い込まれる傾向が強くなった」として、昭和五〇年一二月一四日に一名の従業員(出口元晴)を初めて臨時雇用として雇入れ、それ以後は、後記のように組合側のなす抗議にもかかわらず、一名の非組合員である従業員(嘱託)を本採用として雇入れた以外は、昭和五八年一月二〇日まで七年余にわたって三〇余名の従業員をすべて臨時雇用(そのほとんどが運転業務に従事する者で「臨時雇用運転者」と呼ばれている。)として採用し続けた。申請人らも、少なくとも当初は、このようにして「臨時雇用運転者」として採用された者である。

4  臨時雇用運転者の労働条件

臨時雇用運転者は、本採用従業員と同様タクシー運転手として勤務し、その雇用期間も例えば申請人石川が約六年九箇月、同吉田が約四年間(いずれも昭和五八年四月一八日までの期間)とかなりの長期間にわたっている。

一方その労働条件は本採用従業員に比べてかなり劣悪である。すなわち本採用従業員は基本給一〇万ないし一〇万三〇〇〇円と勤続加算給、家族手当、乗務手当、時間外手当、深夜手当といった固定給と水揚高の多少に基づく歩合給を支給される(業界でいうA型賃金)。これに対し、臨時雇用運転者は、基本日額一六〇〇円の固定給のほかは水揚高の多少に基づく歩合給だけの賃金(業界でいうB型賃金と類似しており、A型賃金より相当低額である。)が支給されている。また、本採用従業員は夏と年末に二回の一時金が支給されているが、臨時雇用運転者には全く支給されない。この結果年間数万円から二〇数万円の賃金格差が存在する。

本採用従業員には退職金規定に従った退職金が支給され、また年々昇給するのに対し、臨時雇用運転者は退職金を支給されず昇給も全くない。そのほか年次有給休暇の付与の有無、祝祭日の乗務等の場合の所定時間の賃金の支払等で格差が存在する。

5  被申請人は、このような状態の下で申請人らを臨時雇用運転者として採用し、申請人石川に対しては遅くとも昭和五二年七月一一日から、申請人吉田に対しては遅くとも昭和五四年五月一日から、期間(大部分は六箇月)を区切った「辞令書」を交付し、申請人らは、特に異議を唱えることなく、右の各辞令書を受け取り、臨時雇用運転者としての処遇を受けてきていた。

二  昭和五六年八月以後の経緯

《証拠省略》によれば、以下の各事実が一応認められ、この認定の妨げとなる証拠はない(なお、右事実の中には、一部、当事者間に争いのないものもある。)。

1  組合は、かねてから被申請人が労働協約や就業規則を無視し申請人らを含む従業員(本採用従業員以外の者)を労働協約、就業規則等にない臨時雇用運転者という名目で取り扱うことに抗議し、本採用従業員として取り扱うよう要求してきていたが、昭和五六年八月一日申請人らを含む一〇名の臨時雇用運転者が正式に組合に加入したことから、右要求を本格的に行うようになった。

2  昭和五六年一〇月、賃金、一時金及び申請人ら臨時雇用運転者の身分等をめぐる問題について、組合及び申請人らは岡本と武藤に、被申請人は篠原と蝶野に交渉を委任し、その間で斡旋交渉が行われた。

3  同年一二月一四日、第一回の斡旋交渉が行われ、その席上、被申請人代表者は、被申請人側の基本的考え方を示すメモ(本件メモ甲)を提出した。そのうち臨時雇用運転者問題に関する部分の内容は次のとおりである。

「一 現在の問題の一〇名については本協定成立時より試傭者として採用する。

二 試傭期間満了時の本採用決定については組合の意見を聞いて採否を決定する。」

一方これに対して組合側は、その基本的立場を記したメモ(本件メモ乙)を作成し、そこにおいて、「協定成立と同時に本採用とすること、採用基準は業績、勤怠によって評価して本採用を決める。ただし被申請人代表者から直ちに本採用が困難であると説明のあった二ないし三名の者はひきつづき試用期間雇用者としたうえで採否を決する。」との考え方を示し、以後双方の案を基軸に斡旋交渉が進められた。

4  昭和五七年三月一五日の交渉において、申請人ら臨時雇用運転者の雇用期間を同年三月一八日から三箇月間とする合意がなされた(ただし、このとき、被申請人代表者が右期間を試用期間とする旨表明したことを認めるに足りる証拠はない。)。

5  同年五月一一日、斡旋案が武藤外三名の斡旋人から提示され、労使双方ともこれを受諾した。そして、同月一四日、右斡旋案を内容とする協定が被申請人代表者と全自交労連愛媛地本委員長高須賀徳との間で締結され、協定書(本件協定書)が作成された。右協定書第一項「臨時雇用者の身分について」には、「組合員である臨時雇用者は現在の雇用期間満了と同時に各人の営業成績及び勤怠を公正に評価して予め組合と協議して採否を決定する。」との文言があった。

6  その後、昭和五七年六月一七日から一九日まで、申請人らを含む「臨時雇用者」の本採用について協議が行われたが、被申請人側が申請人らを含む「臨時雇用者」の営業成績、勤怠の点で問題があるとして本採用に難色を示したため合意に至らず、継続協議とすることとし、申請人らを含む「臨時雇用者」の雇用期間を三箇月間延長した。

7  同年九月一七日、引き続き申請人らを含む「臨時雇用者」の本採用について協議が行われたが、このときも前同様の理由で被申請人が本採用に難色を示したため合意に至らず、被申請人代表者と武藤は協議を同日でいったん打ち切ることにした。しかし、申請人らを含む「臨時雇用者」の雇用期間はさらに六箇月延長された。

8  昭和五八年三月一七日、申請人らを含む「臨時雇用者」の本採用についての協議が再開されたが、たまたま県議会議員選挙の期間と重なり協議の時間がとれないため、とりあえず申請人らを含む「臨時雇用者」の雇用期間を同年四月一八日まで延長することとした。

9  同年四月一八日に至っても、結局、被申請人は、申請人らを含む「臨時雇用者」のいずれについても本採用とする態度は示さず、同日、申請外宇田直器(被申請人の専務取締役)が申請人らに対し臨時雇用契約を再度締結するかどうかをたずねたところ、両名とも臨時雇用では契約を締結する意思がないと答えたので、右契約は締結されず、被申請人側では、翌日から申請人らを退職扱いにするに至った。

第四申請人らによる本採用従業員としての地位の取得

第三で述べた事実経過によれば、申請人らは、少なくとも昭和五八年四月一九日以降は、被申請人の本採用従業員としての地位にあるものと考えるほかはない。すなわち次のとおりである。

一  試採用従業員としての地位の取得

1  昭和五七年五月一四日成立した協定(本件協定)は、その性質上、それまでの組合側と被申請人側のそれぞれの主張の妥協の産物と考えるのが自然であり、このことは、同時に解決の図られた他の交渉事項についてと同じように(他の交渉事項に関する協定内容が両者の当初の主張の中間の内容となっていることは、被申請人代表者も代表者尋問の際に認めている明らかな事実である。)、申請人らを含む「臨時雇用者」の地位についても、当てはまることである。交渉の結果成立したものが、一方が当初主張していたものよりその一方にとってはるかに有利になるということは、何か特別な事情(たとえば、他の事項でその一方が極端な譲歩をなしたなど)の認められない限り、通常は考えにくいことである。ところが、本件においては、そのような特別な事情は見出せないから、申請人らを含む「臨時雇用者」の地位についての本件協定の内容も、こと、本採用従業員への移行という側面に関する限り、当初の被申請人側の立場より実質的に被申請人に有利ということはなく、それと組合の立場との中間にあるものと見るのが合理的な考え方である。

このような前提に立つ場合、この問題に関する被申請人側の当初の立場は、本件メモ甲にある「一 現在問題の一〇名については本協定成立時より試傭(用)者として採用する。二 試用期間満了時の本採用決定については分会の意見を聞いて採否を決定する。」であり、組合側の立場は、本件メモ乙にある「一 協定成立と同時に本採用とする。二 採用基準は業績、勤怠によって評価し本採用を決める。ただし直ちに本採用が困難と判断される者(社長説明二―三名)はひきつづき試用期間雇用者としたうえで採否を検討する。」であるから、本件協定書の「組合員である臨時雇用者は現在の雇用期間満了と同時に各人の営業成績及び勤怠を公正に評価して予め組合と協議して採否を決定する」も、両者の当初の立場の中間にあるものと見るべきであり、したがって、申請人らを含む「臨時雇用者」は、少なくとも本件協定成立後は、そのとき現在雇用期間と定められていた期間の満了の時点でそれまでの営業成績、勤怠を基に本採用従業員としての採否が決められるべき立場に立ったという意味で、試用期間を本件協定成立時雇用期間とされていた期間の最終日までとする試用者としての地位が与えられたものというべきである。このことは、その間における申請人らを含む一〇名の地位の名称(試用者というか、臨時雇用者というか)のいかんにかかわらず、また、本採用従業員への移行以外の他の点において申請人らを含む一〇名がどのように扱われるか(文字通りの臨時雇用者として扱われるか、何かそれとは異なる取扱いを受けるか)にかかわらず、同じようにいえることである。本件協定の文言自体も、そのように見るとき、その内容がすなおによく理解できるものとなっている。もし、本件協定で定められたところが、被申請人の主張するとおり、被申請人は、その決定に当たり組合と協議する義務は負うものの結局のところ、「臨時雇用者」を本採用にするか、試用にするか、これとの間で新たに臨時雇用契約を結ぶかの自由(この自由の中には雇用しない自由も含まれることになろう。)を有するというものであることになれば、それは、被申請人の当初の主張よりも組合にとって明らかに不利となり、組合としては、何のために交渉を続けたのかわからない内容になってしまうであろう(本採用問題が重要な交渉事項とされていたことは証拠上明らかな事実である)。本件全証拠を検討しても、本件協定書中の右文言がそのような内容のものとして作成されたことをうかがわせるものはない。要するに、本件協定によって予定されていた事態は、そのとき現在定められていた雇用期間の満了と同時に、「問題のある人物については(被申請人)がやめさせるだろうし、真面目な者は(本採用として)採用されるであろう」(被申請人側に立って交渉に当たった蝶野が証人として述べたことば)というものであったのであり、申請人らを含む「臨時雇用者」の地位が被申請人の意思によって自由に定められるといったものではなかったのである。

2  本件協定が申請人らを含む「臨時雇用者」に前記の意味での試採用従業員としての地位を与えるものであったことは、本件協定成立後の組合と被申請人との交渉の経過によっても裏付けられることである。すなわち、前認定のとおり、本件協定の成立した昭和五七年五月一四日から昭和五八年四月一八日までの各交渉においては、それまでの交渉と異なり、もっぱら申請人らを含む「臨時雇用者」の営業成績及び勤怠を基にして、これらの者を本採用にするか否かにつき協議が重ねられており、そこでは、営業成績及び勤怠の悪くない者は本採用とされなければならないことが当然の前提とされていて、この点のいかんにかかわらず被申請人が自由に申請人らを含む「臨時雇用者」の将来の地位を定め得ることは考えられていない。試採用が一労働者をして同人の本採用従業員としての適格性判定のために暫定的に就労させ、その結果不適格と判定された者は本採用しないという制度であることを考えると、組合も被申請人も、前記の期間は正に試採用期間であることを当然の前提にして、交渉を続けていたことになるのである。

3  もっとも、申請人らは、本件協定成立後も、雇用契約の期間が延長される毎に協定成立前と同様の「辞令書」を受け取っていたことが認められるけれども、前認定の事実に照らすならば、右各「辞令書」は、申請人らが前記の意味で試採用者としての立場にあったという側面から見るときは、試用期間の延長を表わしたものと解することのできるものである。

二  試用期間中の雇用関係の正確な法的性格

1  本件協定成立後の申請人らを先に述べた意味で試用者と呼ぶべきであるとしても、試用期間中における申請人らと被申請人との間の正確な法律関係を、どのようなものとして理解すべきかは一つの問題である。換言すれば、試用期間終了時において、形式上、被申請人により本採用従業員として採用するとの意思表示がなされない限り本採用従業員としての地位が生じないものか、逆に、本採用従業員として採用しないとの意思表示が有効になされない限りは本採用従業員としての地位が当然に生まれるのか、という問題であり、本件協定がこの点についてどのように定めているのかは、必ずしも明らかではない。

2  しかし、以下の各資料を総合するときは、右契約関係は、試用期間中における状態から見て本採用従業員としての適格性を欠くと判断される場合には解約し得るという解約権留保付の雇用契約であり、留保された解約権が有効に行使されない限り試用期間の経過とともに申請人らは本採用従業員としての地位を当然に取得することを内容とするものと解してよいと思われる。

(一) 申請人らは、本件協定成立前、既に、本採用従業員として見てもおかしくない程度に長く、継続的に被申請人によって雇用されてきていたこと。

(二) 本件協定の成立するに至るまでの交渉の経過においても、一〇名中の二、三名のもの以外についてはいずれ問題なく本採用とされることが予定されていたものと見られること(《証拠省略》により認められる。)。

(三) 本件労働協約二三条には「新たに採用された者は三箇月間これを試用し、適格者は試用期間満了と同時に本採用とする。」旨の規定があること。

(四) 実際にも、試採用従業員が本採用となるにあたり特にその旨の告知があるわけではなく、新たな契約もされていなかったこと、及び従業員も試用と本採用との区別を明確に意識してはいなかったこと(《証拠省略》によって認められる。)。

三  本採用従業員としての地位の取得

1  本採用の拒否は解雇であるが、右留保解約権に基づくものであるから、通常の解雇よりは広く認められるものである。しかし、同時に、試採用は、試採用従業員が当該企業との雇用関係の維持についての期待の下に、他企業への就職の機会を放棄したものであることを考えると、拒否が許されるためには、本採用従業員としての職業能力、業務適格性についての客観的評価に基づく合理的な理由が存在することを要するというべきである。さらに、申請人らに対する本採用拒否については、右の一般論に加えて、本件における諸事情(申請人らが臨時雇用運転者の名の下に何年間にもわたって被申請人に継続的に雇用されてきていること、本件協定の成立に至る交渉過程等)を見るときは、右合理的理由の存在の要求はますます厳しくなるものというべきである。

ところが、《証拠省略》を総合すると、申請人らの昭和五七年三月から昭和五八年四月までの平均営業収益はいずれも他従業員と比較してほぼ同等もしくはそれ以上であり、勤怠も申請人らの勤務体系に照らして考えるならば、決して不良とはいえないこと(なお、被申請人代表者の供述中にはこの認定に反するかのようにみえる部分があるが、これは右認定を左右するに足りるものではない。)、過去の試採用従業員は試用期間終了後すべて本採用従業員となっていることなどが一応認められるのであり、これらに鑑みるならば、申請人らは本採用従業員としての適格性を十分有していたものということができ、被申請人が本採用を拒否する合理的理由はなかったというべきである。したがって、試用期間が終了した昭和五八年四月一九日には留保解約権は消滅し、申請人らは当然本採用従業員の地位を取得したことになる。

2  なお、本件協定において定められたところが、仮に、申請人らが本採用従業員となるためには形式上は被申請人によるその旨の意思表示を要するとするものであったとしても、本件において、被申請人は、自分がそのような意思表示をしていないことを自己の利益に主張することは許されない。被申請人は、前記事実関係の下では、右意思表示をなすべき義務を負っていたことが明らかなのであり、自らの明らかな義務を履行しない合意の一方当事者が、自らの右不履行のみを根拠に相手方の権利主張を排斥しようとするのは、信義誠実の原則に反すること甚だしいものであり、許されないといわざるを得ないからである。

第五保全の必要性

《証拠省略》によれば、申請人石川には妻と二人の子供(口頭弁論終結時現在一〇歳と八歳)がいて、その生活は同申請人の賃金と妻の月額約六万円のパートタイマーとしての収入で維持されてきたこと、また、申請人吉田にも妻と二人の子供(口頭弁論終結時現在九歳と二歳)がいて、その生活はもっぱら同申請人の賃金で維持されてきたことが一応認められる。右各事実によれば、申請人らが被申請人から雇用契約上の地位を否定され、引き続き賃金の支払を受けられないときは、申請人らの生活が窮迫し、著しい損害を受けるおそれがあると推認することができるから、本案判決前に右地位を有する者としての仮の取扱いと賃金の仮払を求める必要性があるというべきである。

そこで、すすんでその賃金額について検討する。

《証拠省略》によれば、被申請人の従業員の賃金は毎月一〇日に前月分が支払われていること、申請人らの昭和五七年一〇月から昭和五八年三月までの六箇月間の運賃収入を基に計算すると、申請人らが本採用従業員であったとした場合に同人らが得ると想定される一箇月あたりの平均賃金は、申請人石川については金一六万六六〇〇円、申請人吉田については金一五万二二四〇円であること、昭和五八年四月一九日から三〇日までの賃金は、日割計算で申請人石川の分が金六万六六四〇円、申請人吉田の分が金六万〇八九〇円となることが一応認められる。

そうすると、賃金については、申請人石川に対し、金六万六六四〇円を仮に支払い、さらに昭和五八年六月以降本案判決確定に至るまで毎月一〇日限り月額金一六万六六〇〇円の仮払をするよう、申請人吉田に対し、金六万〇八九〇円を仮に支払い、さらに昭和五八年六月以降本案判決確定に至るまで毎月一〇日限り月額金一五万二二四〇円の仮払をするよう、それぞれ被申請人に命ずる必要性があると解される。

第六結論

以上によれば、申請人らの本件仮処分申請はすべて理由があることは、その余の点に触れるまでもなく明らかである。そこで、保証を立てさせないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 高橋文仲 坂倉充信)

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